【映画】『マリリンとアインシュタイン』

アップリンク京都
コマギツネ

京都に来てから映画に行くのははじめて!

中の人

ちょっと緊張(笑)

アップリンクへレッツゴー

税務相談後に、

映画を見に行こうか、国立近代美術館に行こうか迷っていたところ、

『マリリンとアインシュタイン』が3月16日で上映終了ということを知りました。

なので、必然的に映画を見に行くことに決定。

上演開始時間も税務相談後にちょうどいい

(というかギリギリスタートに間に合わないぐらい)。

したがって、仕事が終わった後、走って西大路御池駅に向かいました。

いいですね~。非日常感。

普段乗らない電車に乗るだけでも楽しい。

烏丸御池駅で下車して、おしゃれビルには目もくれず、

アップリンクに向かって一目散。

私は実は、映画上演前の予告が大好きなんで、

これもはじめからきちんと見たいんです。

そしてアップリンクに到着。

はじめての場所なんで、受付の場所、チケットの買い方、すべてが分からない。

こういう感覚に結構敏感なんで、精神的ブロックが働く一方、

「わからないって楽しいことでもあるよな」と思ったり。

1回目の特権ですよね。ちょっと文学的です。

そして、ただでさえ、はじめてチケットを機械で購入するのに、

おつりが出てこないというトラブル発生。

はじめからすべてがうまくいくなんて、ほとんどないし、

こういった小さなことでも経験なんだなぁと実感。

次回、誰かと一緒にアップリンクにきて、

おつりが出てこないというトラブルが発生した時は、

「そういうこともあるんだよ~」とどや顔で語ることでしょう。

まぁ、上映している映画が映画なんで、

人を誘って見に行くなんてことはまずないと思いますが。

『マリリンとアインシュタイン』

さて、上映室に入ると、既にお客さんが6人ほど。

いずれも1人客。

私の前に座っていた方は、メモまで用意している。

どうやら誰かを誘わなくて正解だったようです。

さて、肝心の映画は・・・

いやー、ほんと、誰も誘わなくてよかった!!

この映画を好意的に見てくれる人はごく一部でしょう。

以下、かなりのネタバレがあります。

マリリン・モンローは、自身のイメージ戦略として(売れるために)、

「Dumb blonde(頭の悪い金髪)」になったというのは有名な話ですが、

本当の自分と、大衆が持つシンボルとしての自分との乖離が、

テーマの1つかなと思ったりします。

この映画は演劇をベースとした会話劇とのことですが、

映画の90%ほどは、アインシュタイン(のように見える科学者)が泊っている

ホテルの1室で撮影されています。

映画というといろんな場面があるのがその醍醐味の1つなので、

そういう意味でも一般的な映画とは異なります。

で、この映画は一夜限りの一つの部屋での出来事を描いています。

マリリン(のように見える女優)、

アインシュタイン(のように見える科学者)、

ジョー・ディマジオ(のように見える野球選手)、

マッカーシー(のように見える政治家)、

いずれも、私たちが持っているのはそのイメージであって本人ではない。

このホテルの1室は、彼らをイメージではなく、

本人として語らせる場を提供する機能があるように思います。

そして、舞台のメインがホテルの1室という限られた空間なので、

彼らの回想シーンが余計に際立つ。

マリリンの回想シーンは主に自分がのし上がるために、

どれだけ、自分の体を売ってきたか。

そして、彼女は、自分の髪を金髪にしたり、

独特の語り口調(赤子のような)にしたりするといった、

頭の悪さを「演じる」ことで、スターになった。

けれども、(映画の設定では)、彼女が本当に話したくて、抱かれたいのは、

「頭がいい」というシンボルの代表格であるアインシュタイン。

なんという皮肉(笑)。

彼女が、「知識としての」

(のちにアインシュタインから知識は真理ではないとお叱りを受けますが)、

特殊相対性理論をアインシュタインの前で語る姿はなんとも輝いて見え、

前半での出来事ですが、この作品の1つのクライマックスともいえるかもしれません。

とはいえ、結局のところマリリンはアインシュタインに抱かれることはなく、

シンボルに戻っていくんですけどね。

あくまでもこの部屋は、

シンボルたちの現状を変えるために機能するものではないように思います。

一方、アインシュタインはというと、

その偉業よりは、彼がユダヤ人であること、

そして、原爆とのかかわりが焦点になります。

映画の序盤に日本がでてきて、はじめは「?」と思っていたんですが、

映画が進んでいくと、アインシュタインは原爆に関わっていたことを思い出しました。

そこからは、アインシュタインの苦悩が分かるようになり物語の理解にも役立ちます。

そして、このアインシュタインの苦悩は物語のラストにもつながっていきます。

ラストはこの映画を見た人だけの特権なので語りませんが。

さて、この映画の原題"Insignificant"。

日本語で訳すと「取るに足りないこと」とのこと。

この一晩限りの一つの部屋での出来事が"Insignificant"なのでしょうか?

この部屋はシンボルたちの裏の世界。

よく、「ハクチョウは優美に見えるが、その足元はバタバタしている」、

なんて言われますが、その足元のバタバタの部分。

さて、この部分を"Insignificant"ととるかとらないかはその人次第でしょう。

私は、かなり強いメッセージ性を感じました。

で、この映画は面白いのか?

私の思う、映画の面白さは2通りあって、

「映画を見ているときに面白い」と、

「映画を見終わった後に面白い」です。

そして、いい映画は、

「映画を見ているときも面白いし、見終わった後も面白い」ものです。

一般に感覚に訴えるような映画(大衆映画)は、

「映画を見ているときに面白い」ものでしょう。

思考に訴えかけるような映画は、

「見終わった後に面白い」映画です。

こういった観点から見ると、

この映画は、映画を見ているときにはあまり面白くありません。

見終わったときの方が圧倒的に面白い。

なので、考えることが好きな人にはお勧めできる映画かもしれません。

それにしても、興行収入度返しのこの作品の上映。

以前、メセナ関係でルーブル美術館の人の話を聞いたときに、

印象に残っているのが、

「モナリザでお金を集めて企画展をやる」というもの。

企画展はお金にならないんですよ(笑)。

大衆が知らないものを展示したってお金が集まらないんです。

芸術の価値はお金では測れない。

お金を集められるものがいいものとは限りませんね。

まとめ

久しぶりに映画を見て、

あぁ、面白くなかったなぁと思いながら帰ってきました。

けれども振り返ると、考える要素がたくさんある。

そういう意味で面白い映画に会えたのかもしれません。

今日の私

税務相談→映画でした。

ぜひ、こちらもどうぞ!

マンガ描き始めました。

私のプロフィール

京都市の女性税理士です。

税理士になるまでの苦労が綴ってあります。

税理士試験はうまくいかないことばかりで、

何度も自暴自棄になっています。

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勉強好きそうだけど、税理士試験とは肌が合わなかったね。落ちた時には、なんて声をかけていいかわからなかったよ。

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ほんと、あの頃は迷惑ばかりかけて申し訳なかったよ。

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