【英語】言語について思うこと
言語が異なるからこそ
世界は楽しい
母国語
海外の方と一緒に仕事をしていると、
英語が母国語ではない方が結構います。
当たり前と言えば当たり前なのですが、
世界は英語でできているわけではないことを実感します。
先日、フィリピンの現在の小学生世代の母国語が
英語になりつつあるという話を聞きましたが
(その真偽は知りませんが)、
個人的には、それはそれで違う気もします。
言語は我々の思考の基盤となるものです。
なので、
「英語以外の言語で物事を考えることができる」
というのはむしろ価値あることで、
世の中がグローバル化していくなかでは、
もっともっと価値が上がるものになると思っています。
私は英語ネイティブでないため、
いつも英語に苦しめられていますが(笑)、
それでも、
「英語を母国語とする国に生まれればよかった」
とは思いません。
日本語という確固たる軸があるからこその英語だと思っています。
言語とメンタル
私の思考は日本語に縛られています。
よく、
「英語に翻訳できない日本語(お疲れ様などがその代表例)」
の存在が知られていますが、
私たちはこういった語彙を使って、
外国語とは違うシステムで物事を考えている。
例えば、「わび・さび」。
その翻訳は、
"The art of imperfection, impermanent and incomplete”
らしいのですが、
「そうなのかなぁ?」と、ちょっと疑っています(笑)。
この翻訳に
「大切な部分が伝えられていない感」
を感じるのは私だけではないはずです(笑)。
説明知よりは暗黙知が重要な領域なのかもしれません。
この注釈を読むよりも、
「わび・さび」を体現する神社、お寺、作品を現地で見た方が、
きっと理解が早いでしょう。
「百聞は一見にしかず」です。
さて、こういった日本独自の言葉は、
日本語で考えるからこそ考慮されるもので、
そもそもこの言葉が存在しないのであれば、
思考システムに組み込まれることもないでしょう。
こういう英語とは異なる言語体系を基盤に持つことが、
いかに価値があることであるかを認識すべきと思います。
聖書のバベルの塔のエピソードでは、
「全地は同じ発音、同じ言葉であった」けれども、
神の怒りに触れて、「互に言葉が通じないように」
言語がバラバラにされたとありますね。
つまり、言語が異なるのは、何らかの罰が与えられた結果です。
けれども、言語が同じ世界の方が、
言語が異なる世界よりも面白くないように感じるのは私だけでしょうか?(笑)
わからないことがあるからこそ、知ったときの喜びが強いのです。
英語は歩み寄り
個人的には、第二言語(例えば英語)は、
一種の歩み寄りなのではないかと思っています。
相手への優しさだったり配慮だったりの類です。
実は、私の仕事相手の多くは、
英語が母国語ではなく第二外国語だったりします。
先日、フランス人と話しをしていて、
「英語よりはフランス語でやり取りする方がいい!」という話を聞きました。
(彼は)ヨーロッパ圏に住んでいて、
過去に英語で仕事をしていたにも関わらずそう思うんだ!
とかなり衝撃的でした。
これが何を意味するかというと、
英語が母国語でない彼ら彼女らは、
英語を使うことで私たちに歩み寄ってくれているのだなぁと。
そう考えると、私たちが英語を使うことは、
一種の compromise のように思えてきました。
妥協と訳すと語弊がありそうなので、「歩み寄り」かなぁと。
英語の利用が一種の優しさであると考えると、
ちょっと学習のモチベーション上がりませんか?(笑)
まとめ
私は完全な純ジャパです。
フランスへの留学経験はありますが、
英語圏への留学はこれまで皆無(笑)。
それでも、英語を何とかしたいと思うのは、
お金を稼ぎたいのと海外に旅行に行きたいためです!
今日の私
英語と仕事です。
本日は熱くブログを時間をかけて作成したのですが、
本当にやらなくてはいけないのは、
源泉の計算と、税務に関する改正事項の修正です。
ぜひ、こちらもどうぞ!
マンガ描き始めました。
私のプロフィール
京都市の女性税理士です。
税理士になるまでの苦労が綴ってあります。
税理士試験はうまくいかないことばかりで、
何度も自暴自棄になっています。
勉強好きそうだけど、税理士試験とは肌が合わなかったね。落ちた時には、なんて声をかけていいかわからなかったよ。
ほんと、あの頃は迷惑ばかりかけて申し訳なかったよ。
私の税理士事務所
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